説明
本書は、著者の長年の宗教体験を明らかに書き記したものである。
幼少より、優れた霊能者である二人の母(教母、実母)に厳しい修行(滝行、祈り、禊ぎ)を教えられ、長じて24才からヨガ行を始めて40年余りになる。
その間に、その時その時の現在の自分の小さな存在性をいかにうち破ったかに応じて、霊的に深く広い高 い次元に至る成長を繰り返してきた。
その霊的成長が達せられた各次元で、宇宙創造の神と、それぞれ違った様相で一致すること ができた。
神との存在上、働きの上での一致こそが宗教体験である。
キリストが「我が言うことは、我が言うのでなく、我の内にいます神が言われるのである」と言われる時、キリストは宇宙創造の 神との一致の状態ー宗教体験ーにおられたのであり、断食をしているマホメットに神が降臨され啓示を与えられたのも神との一致 の宗教体験であり、仏陀が菩提樹の下で、一切の存在を超え、一切を成り立たせる法あるいは空を体得されたのも、やはり絶対と の宗教体験と言えよう。
人間が他の人間や自然と区別される小さな自分を全てと思っている間は、より大きな存在との一致の体験つまり宗教体験は生じない。
しかし、死に直面する大病とか、自分が全力を尽くした事業に失敗するとかして、人間の有限な、はかなさ、小ささを自覚する時、より大きい存在との関わりが生じやすい。
まして、断食、水行、瞑想等の修行を通じて、小さな自分の存在性の否定を日夜行ない、心を常により大きい存在、神あるいは一切の存在を超えた絶対に向けている時、神あるいは絶対は必ずその霊的成長を助け、成就せしめて、より高い存在の境位にまで次第に成長させて下さる。
この霊的成長には、一定の秩序と階梯がある。
(中略)
自己否定を通じての霊的成長を通じて、人間の魂は一歩一歩、場所的存在となる。
場所というのは、その内に多くの存在 (人間や自然)を包摂し、それらの存在を支え、生かし、霊的成長を促すものである。
(中略)
本書は、修行や、超作(己れの本分である仕事、職業を通じて人の役に立つことを念じつつ己れの最善を尽くして行為を 行ない、その結果を神に任せる行為)を通じて自己否定を行ない、霊的成長を次々と達成していく過程でいかに宇宙創造の神と繋 がり、一致していったかを明らかにし、霊的成長に応じてより広く大きく深い高い場所的存在に成長していったかを明らかにしたものである。
場所的存在になっても、人間としての心身を持っている限り、場所的存在となった個である。
これを場所的個と名付ける。
キリストも仏陀もマホメットも場所的個である。
従って、場所的個とは、覚者の別名である。
物質文明が高度に発達した人類の世界で、多くの人達が、自らの存在の精神性、霊性に目覚め、霊的成長を自覚して努力を始めている。
著者は、その人たちにも、一般の宗教に無関心な人びとにも、人間は物や身体だけのものではない、無限に霊的成長でき、他の民 族や人びと、地球や自然と、更には霊界、神界と共生し共存し、平和な豊かな調和のある一大存在世界を成就できる無限の可能性 をもっていることを、本書を通じて読みとって戴きたいと願っている。
場所的個としての覚者
- 宗教経験の各段階における三つの階梯
 - 「場所」と「場所的個」
 - 神霊との合一における質的合致
 - 神霊との一致における量的段階
 - 「利己性の否定」の意味
 - 自己否定における質
 - 合一と一致との違い
 - 創造神と絶対との違い
 - 生死の場所(創造神)との完全な一致
 - 瞑想の境位
 - 三昧の境位-場所的存在-
 - 場所的個
 - 生死の場所と絶対無
 - 神霊のもつ場所的存在性/天の神と地の神
 - アウグスチヌスにおける肉体と理性との対立
 - 物の原理と心の原理
 - 各宗教の違いをつくるもの
 - ヒンズー教、仏教における物心一如
 - 場所的存在は物を根元的に自分の
 - 内に含む
 - 第一段階
 - 第二段階(エクスタシー)
 - 創造的場所
 - 神霊的場所と、その場所的個
 - 神霊(超越者)との全き一致
 - 直観智、叡智-カラーなの智慧とプルシャの智慧の相違
 - 場所的存在と神霊の一致と分離
 - 場所的個と神霊との一致
 - 場所的存在の多次元の存在性と直観智
 - 場所的個における場所の意識と人間の意識
 - 神霊と場所的個の一致における存在作用構造
 - 場所的個はその本質において場所的存在
 - 精神的直観、存在直観
 - 場所の意識とその自覚
 - 神秘家と神人の違い
 - 場所的立場にある個
 
仏陀の悟り
- 釈尊の生まれた環境と社会情勢
 - 仏教の欲界
 - 色界の四禅
 - 四無色定
 - セム族文化と仏教の比較
 - 滅尽定
 - 仏陀の悟り
 - 漏儘智
 

		
		
		