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神様の真似をして生きる 第三巻 超作―神様の真似

¥ 1,980 (税込)

本山博が語る「超作」(信仰と愛、行の実践と倫理)の教え
―世界平和の実現を得るためには、人類は「超作」によって精神的成長を遂げねばならないー
2015年に亡くなった本山博の自選講話集『神様の真似をして生きる』全3巻のうちの第3巻。
著者が、終生、最高で最重要なものとして、人々に説き続けた「超作」。
本書は、数多い「超作」に関する講話から、著者自身が、最も基本的かつ分かりやすく実行可能な「超作」についての講話を選んで纏めたものです。

本体価格 1,800円
四六判上製 216頁
ISBN 978-4-87960-073-8 C0014 ¥1800E
発行日2019年10月23日

商品カテゴリー: , Product ID: 2171

説明


超作は著者が日常生活において最も重視した宗教実践である。
日本におけるインド古典学の開拓者である辻直四郎氏はインドの聖典『バガヴァッド・ギーター』の中に出てくるnaiskarmyaという言葉を超作と訳している。この訳語は辻の造語であろう。なぜなら、他の翻訳者たちは超作という言葉は使っていないからである。また、この言葉は『ギータ―』の本編中で二か所にしか出て来ない。それにもかかわらず、辻は同書の解説においてこの超作を非常に重視してる。さらに、私は著者から辻の『ギータ―』の翻訳を勧められたことがある。よって、著者は辻の訳によって『ギータ―』を勉強し、本編と辻の解説における超作の概念に大きな影響を受けたことは確実であると思う。実際に著者が初期に説いた超作の概念「果を求めずして己が本務を尽くすべし」は辻の解説した超作概念と極めて近い。
しかし、著者の超作概念はその後に大きく二回展開し、深められていく。一度目は個人性と社会性を統合する行為として超作をとらえ直したことである。二度目は本書で強調される、超作とは神様の真似であるというとらえ方である。著者はこの二度の展開において超作概念を変更したのではなく、以前の概念の上に新しい概念を重ねて重層的に超作を定義していく。
一度目の展開は本山博神学の場所論と関係が深い。また、二度目においては本山博神学の精神とモノとの相互作用の論理(創造論)との関係が深い。初期の超作概念は本山博神学の修道論との関係が深い。修道論、場所論、創造論は本山博神学の三つの柱である。よって、超作とは本山博神学のすべてとかかわる実践理論なのである。
著者はこれからの人類は超作によって霊的進化していくと繰り返し述べていたが、それは彼の宗教思想の構造からして当然の帰結であろう。

本山一博


序文

(一)神様とのつながりで生きる

(二)超作とは

(三)自己愛を捨てて超作を

(四)自分を超える

(五)『今を超作せよ』
       
(六)超作について
   (1)共感ができるか、できないか
   (2)超作をするときの基本
   (3)自分をなくして人のために働く
   (4)行為をしながら行為を超える
   (5)本音と建て前――相手を思う心と超作

(七)信仰と超作

(八)日常生活での超作
       
(九)日常生活での超作の階梯


著者自選講話集(全三巻)の第三巻『超作』をお届けさせて戴きます。
「超作」という言葉は、一般には耳慣れない言葉ですが、著者は「超作」の意味について、1996年11月に出版した『愛と超作』という著書の中で以下のように説明しています。

「超作という言葉は、インドに「マハーバーラタ」という、三千年ぐらい前から伝わっている大きな叙事詩があって、その中の一編が「バガバッドギータ」ですが、この「バガバッドギータ」の中に「超作に当たる言葉が出てきます。――その中に、”naiskrmya”という言葉がある(第一編第三章四)。これを辻直四郎氏「超作」と訳して、「善悪、利害を超越した行作、すなわちカルマヨーガに基づく行作」と註を付けておられます。こういう言葉が三千年程前からあることはあるのですが、私がお話しする「超作」は、言葉は似ているが中身はかなり違うように思います。」
「行為という因と結果という果(因果)にとらわれている間は、いつまでたってもカルマを超えた解脱の世界には達することはできない、というのが超作の本来の意味なのです。(中略)
「しかしそれだけですと、個人と社会のつながりを統合するような境地というものは出て来ない。「バガバッドギータ」の中では、解脱の世界ということだけが目標になっている。」(中略)
「私が今まで実際に行をして皆さんに説いてきた超作というのは、(中略)行為をするときにその結果がどうであるかということを忘れてしまうほどに行為そのものになりきるということです。いつも何かを気にしながら行為をするのではなくて、行為そのものになりきると、その時は自然に、行為の結果を求めて行為している自分というものは消えてなくなる。これが一つ。
もう一つは、行為をする前に、自分がこの行為をすることによって少しでの他の人が助かるように、あるいは他の人に役に立つようにと念じるということなのです。(中略)
そして(もし失敗があったときには)その失敗の原因をよく調べて、その原因を改良してより完全なものを作るように行為をする、ということなのです」(中略)。
「繰り返すと、超作とは、(中略)行為をするときには結果を求めている自分を忘れてしまう程に夢中になる。するとその夢中になったときに自己否定が起きる。そして、より高い状態、より高い次元に進んで行ける準備ができるということです。
「それともう一つは、行為の動機が、その行為の結果生じたものが人の役に立つようにということ、それを念じるということです。」
「こういう超作においては、人の役に立つようものを作る、あるいは行為をするということ、つまり「愛」が一つの基盤になっている。」
「それから、目指したものが完全にできるようにするには知恵が要る。愛とか知恵というものが超作の根底にあるのです。」
「そして人を助ける、人の役に立つということが一つの目標になって行為をするときには、そこに自ずから社会性というものができてくると思うのです。」(中略)
「で、そういうふうな、超作を通して普遍性あるいは社会性と個人性が一つになれるような、あるいは両立できるような人間に成長することが、これからの地球社会を背負っていく人間にはどうしても必要と思います。(以上、『愛と超作』Ⅰ章より引用)
「超作とは、人や自然が成り立つように、愛と知恵をもって、対象である人や自然になりきって働くことである。すると、人も自然も自分をも包摂する大きな存在に成長する。そこでは人をも自然をも助け成り立たせることができる。全ての人が共存できる社会を成り立たすことができる。このような人間は、人に頼らず自ら生き、その広い大きな個人性を保ちつつ他の人々を成り立たせ、且つ、共存できる社会性を成就できる。政治家も経済人も文化人も宗教家も、超作によって精神的成長を遂げねばならない時代が到来しつつあるように思われる」(前掲書序文より引用)

以上のように、著者は「超作」を、宗教者、あるいは信仰者、修行者だけでなく、世界平和を導くためには、あらゆる人々、あらゆる職業、あらゆる団体ないしは国家にとって必要なこととして説いていました。
このような著者の超作の教え、ないしは宗教者を超えた一人の人間として生きていく基本思想・哲学は、宗教的修行・比較宗教学研究者としての著者の生き方かあら生み出されたものでなく、おそらく、著者の生来の、あるいは幼児よりの家庭的、肉体的苦難から自然に生じたと考えられます。
第二次大戦末期、国家の存亡の危機に際し、四回目の中耳炎の根治大手術の傷の癒えない前に特攻隊を志願し入隊したこと、アメリカ軍の空襲に備えた避難トンネルの掘削中に幼くして亡くなった義理の弟のために眠らずにお祈りしたこと(そのとき初めて神の力の流入を体験したと後に語っている)、また、入隊前、父から与えられた僅かな資金で父と義理の母と義理の兄弟にために、苦労しながら独力で家を建てたことなど、そのほんの実例の一つに挙げられると思われます。

昭和22年、著者は生家を離れ、当時香川県小豆島に疎開をしていた玉光教会設立者であり教祖である本山キヌヱ師(と生母・余島静江師)のもとに身を寄せ、教祖と共に上京し、大学受験勉強に励みながら、教団としての玉光教会(後に玉光神社と名称を変更)が宗教法人の認証を得るための都庁との折衝、社殿の建築のための資金調達や現場監督などに全力を挙げて教祖を助けました。玉光神社祝詞『玉の光』は昭和23年12月に制定され12月20日に発行されましたが、その祝詞の一節には次のように書かれています。
『庶民若し栄昌を願ひ諸業の興起を望まば當に勝敗の義を解すべし。
即ち劣を厭うの念増進して自ら能く精励すれば必ず以て興り。勝を好むの性増進して自ら恃んで傲慢なれば紛争必ず敗を招くべし』
また『玉光教十訓』の第七訓には
『一 すべて勝を念とするなかれ』
と記されています。

しかし昭和31年3月23日発行の『玉の光』にはこの部分が
『庶民若し栄昌を願ひ諸業の興起を望まば當に本務の義を解すべし。
即ち果を求めずして己が生得の本務を行はば元神神力を給ひ必ず以て興るべし。』
また十訓の第七訓は、第八訓
『一 果を求めずして己が本務を尽くすべし』
と改められています。
(改められた正確な年月は、今のところ資料としてはっきり残されたものを編集者は見出しておりません。しかし編集者は、昭和31年より数年早く、玉光神社信徒はこの部分を書き改めるようにとの教祖の指示に従い、各自の祝詞本の中に手書きで書き込みをしたように記憶しています)
以上の改定は当時「若先生」であった著者が玉光大神の啓示を受け、啓示に従い、かつ、教祖の許可を得て改定したとされています。

この改定は、著者の宗教哲学、修道の根本的な理想・原理が、玉光神社での活動のごく初期からすでに「超作」であったことを示していると言えるでしょう。
玉光神社での教話において、また、坐業の会・七星会での講義において、さらにMIHS,CIHS等の大学院大学および外部の研究会ないしは講演会において、著者は終生「超作」を信仰者、修行者、またすべての生活者にとって、最高の、そして最重要な生活態度の基本、哲学として説き続けました。
「本当に超作の意味が分かり、実行できるのは、人間以上の存在に進化してはじめて可能である。しかし現代のあらゆる格差と分断の危機を乗り越えて世界平和の実現を得るためには、政治家も経済人も宗教家も、超作によって精神的成長を遂げねばならない。」
これが宗教者、教育者としての著者の終生の願いでした。

講話集『神様の真似をして生きる』第三巻は、数多い超作に関する講話から、著者自身が、最も基本的かつ分かりやすく実行可能な超作についての講話を選んで纏めたものです。

著者生前の自選講話集の最後に、著者が世界平和を願い、その実現のため、すべての人々に共有・共感・実行してほしいと願い続けた『超作』の巻をお届けさせて戴けることを、神様と著者と、編集に携わってくださった方々に感謝し、またすべてのこの本の読者の方々に心から感謝申し上げます。

2019年7月 本山カヲル