宗教書                                   

地球社会における生き方と宗教

人類に幸せと霊的成長をもたらすもの

本山 博 著


A5判上製 289頁 ISBN-87960-043-1-C0014 1991年6月発行
定価3,060円



 現代は、人間の住んでいる地球で、自然環境、人間社会、人間の生き方等の、あらゆる面で大きな変革が進行している時代である。地球や自然と共存し、平和で活気に溢れた人類社会を実現するにはどうしたらいいかを、この数年考え、多くの人びとに話し、実践してきたことをまとめて一冊の本としてみた。来るべき地球人類社会の実現の方法、それを指導する原理の一試案が、この本から読み取っていただければ幸いである。
 私は、60年にも及ぶ宗教的修行と心霊体験、神秘体験と、それらについての科学的研究とを通じて、人間は身体、心、魂をもち、それぞれが個人性と社会性をもつ、多重次元的構造をもつ一全体であると思う。
 どの一つが欠けても、人間は自由な、充足した生活を送ることはできない。必ず心身面での不満足、歪みが生じ、社会組織にも歪みが生じ、いつかはそのような欠陥生活、欠陥社会は崩壊する。
 例えば、一昨年に始まる東欧共産社会の崩壊は、共産社会が人間を身体的存在、社会的存在という二点からのみ理解し、個人性、心、魂の面を無視した社会組織をつくったために、虐げられた個人性、心、魂が抑圧と無視に対して反抗し、崩壊に至ったと考えられる。ソ連以外の東欧では、伝統的に民主主義、個人主義の下地があったために、困難とは言え、上述の身体、心、魂と、個人性、社会性をもった一全体としての人間の生活、社会組織がつくられつつある。
 これに対し、伝統的に全体主義、上意下達的社会構造をつくり上げ、それに慣れて生活してきたソ連では、個人性を尊重した民主主義的社会組織をつくるのに四苦八苦している。しかし、今や自由な個人性に目覚め、民主社会を求める民衆の声は、決して一時の全体主義的圧制に消されることはないであろう。
 地球世界をみると、民族、国家の個別性の主張と地球社会性の主張とが、同時に進行している。ソ連、アフリカ、第三世界では、各民族国家がその独自性、個別性を主張して独立国家となり、あるいはなりつつある。反面、米国、西欧諸国、ソ連も、地球社会の現在の代表機関としての国連の賛成なしには、国際的社会的活動をなし得ない。フセイン大統領の地球社会の秩序破壊の行為に端を発する今回の湾岸戦争でも、アメリカ一国ではフセインを討つことはできなかった。国連の議決に従って、フセインの横暴を討つことができた。
 私は、個人であれ、民族であれ、国家であれ、個人性、個別性をもつものであるから、その個別性を満足さし、同時にそれのもつ社会性、つまり地球社会の構成員としての社会性を充足さすべきであると思っている。
 湾岸戦争で、もう一つの争いが見え隠れしていたように思う。それは、キリスト教圏のアメリカ側の言う正義とイスラム側の言う正義とのくい違いによる外交不調、争いである。フセイン大統領は、アラーの神に背く者は全て敵である、アラーの神に従う者は正義であるという、イスラムの正義をふりかざしている。ブッシュ大統領は、公然とは言わないが、戦争中はキリスト教会で祈り、キリスト教の言う人類愛に基づぐ正義を信じている。
 いつかはこの種の宗教戦争が、地球人類社会実現の前段階で顕わとなってくるであろう。いずれの世界宗教も、自分こそが人類、地球社会を指導する原理を有していると信じている。しかし、その教義、教理は、非常に違ったものである。地球社会を指導する宗教になるには、それぞれ、なぜ他の宗教と教義、活動様式でこうも異なるかの自覚と反省とが、まず必要であろう。その後、教えの上で他の宗教との統合がいかに可能かを、神との関わりの根源に還って深く掘り下げ、統合できる世界を見出すべきである。
 本書は、この世界諸宗教をいかに統合し、地球人類社会の指導原理となるべき世界宗教はどのようなものかの一つの理想像を画いてみた。
 その世界宗教の下で、人間はいかに生きるべきか、いかに祈るべきかを説明し、最後に、神様にお会いするにはどうしたらいいかを、私の体験に基づいて話しを進めてみた。
 この本を読んで、皆さんが身体、心、魂、個人性、社会性をもった一全体としての人間を実現し、霊的成長をし、平和な、幸せな、活気にあふれた地球人類社会の実現のために努力されんことを希望します。

1991年4月11日    本山 博     

このページのTOPへ


目 次

序文

第一章 地球社会と世界宗教
(1)新しい世界宗教の全体像  地球社会の進展/国益優先の政治からの脱却への努力/普遍的人間的文化へ/宗教のもつ地域性、相対性/三大宗教は地球社会を救えるか/水と人間/砂漠における思考様式と宗教/森林における思考様式と宗教/族長の延長としての人格神/創造と終末/永遠と空/全智全能の神と人間の自由、不平等、そして悪/カルマの法則と個人の意志、責任/物は物、心は心/三界は唯心の所現/より普遍的根源的原理の把握と表現を/新しい世界宗教の全体像
(2)神の国の実現に向けて 政治と宗教の統合の実現へ向けて/霊的進化のみによって/自己愛のもたらすもの/すべての存在と調和して生きる/これからの人間の生き方/超作と信仰を
(3)モノの中にある神性を拝む             
自然破壊の原因は何か/空気中の酸素の生成について/オゾン層と陸上生物/すすみゆく酸素破壊/新しい世界宗教の必要性/誰もが悟りの境地を
(4)真の自然環境保護とこれからの科学について             
湾岸危機と民族のカルマ/人間のための自然環境保護/木にも魂がある/木も草も空気も、すべて魂をもつ/猫も魂をもつ/真の環境保護
(5)地球人類性へのめざめを民族や宗教のもつ独自性、有限性をこえて     ―略―
(8)地球社会時代のお祈り  『恵厳顕蔵経』と『玉の光』/国家社会から地球社会へ/世界宗教の教典を/地球社会時代のお祈りのあり方

第二章 地球社会人の生活と祈り
(1) 地球上の皆が同じように幸せになるように世界情勢の変化/人間のもつ社会性/人間のもつ個人性/社会主義世界における変化/資本主義世界における変化/第三世界の国ぐにでは/いつかは大きな争いが/(2) 自然とともに生きる  進みゆく環境破壊/禁欲の心を失ったために/使い捨て文明は人類を滅ぼす文明/宇宙の癌細胞とならないように/飽食と偏食の果てに/癌にならないためには/自然を愛し尊敬する気持ち(3)いつも自由であるように神様は公平/現世利益でなく、道を求める/エネルギー革命と自由な心(4)世界の中の日本へ(5)真理を求める心 普遍的母性についての認識/普遍的真理を求める/真理を知るには(6)神様の真似をする  調和を保って生きる/自分を否定する/相手を成り立たせ、そして引き上げていく愛/お祈りをする/あらゆるものとのつながりによって/花は自然に咲く/自然と人と/お互いに相手のために(7)感情について (8)自分からはなれるにはものを徹底して考える/全体の立場にたつ/なりきることとはなれること

第三章 世界平和の祈りとカルマの浄化
(1)世界平和の祈りと個人のカルマ (2)牟礼−百済祭をめぐって 良いことと悪いことが/お代様のご発病とご昇天/原宿の神社跡地/真清水湧く所に/お代様の手術/必死のお祈り/龍が昇って/文理大賞のこと/カルマを教えていただく/大和朝廷と百済の人びと/日韓のカルマのお浄め/そして、いま韓国国内では/日韓相互の新たな動き/これからのお祈り/一つの地球に向けて/神様のご用意/大きな関わりの中で/神様のご経綸にそって (3)愛の力 仲の悪い夫婦の間で/敵同士のカルマによって/こおりをかついで/愛によって人間の本当の姿を知る/何のきっかけからも/継親も継子も辛い/カルマによる結びつきの怖さ (4)お祈りした後、悪いことがおきることがあるのは(その一) お祈りをしたのに/原因を作ったのは自分/カルマは顕れないと解けない/カルマは、解けないと消えない/新しいカルマをつくらないように/悪いカルマが解けて消えると/ご利益ばかり求めても/良い悪いに執われないように (5)八王子の水害をめぐって  高尾山にて/八王子の土地のお浄めのお祈り/台風十一号の通過/八王子城落城について/カルマの顕現と災害 (6)神様は人間の罪を祓いきよめてくださるか  神道と因果応報の思想 (7)カルマを超える手だて  神様に心を向ける/自分からはなれて、全体を成りたたせるように考える/十分に智慧を働かせ、一生懸命に行為をしながら、同時に超作をする/カルマの世界にとらわれない/この世は、カルマを超えた世界へ到る道程 (8)カルマの成就と霊的成長  カルマのせいばかりにしていては/信仰と神様の真似 (9)新しいカルマを作らないために 「悪いカルマ」とはなにか/カルマとは出てくれば解けるもの/自分の心がけ次第で

第四章 神様はいらっしゃるか 
 1 いつも守ってくださる神様 (1)神様はいつもお見とおし  福引きの意味/かげの力/佐藤美知子さんの話し/神様はお見通し/神様のお力を信じて (2)神様のお守りとは  願う人にもまわりの人にも一番いいように/ご経綸に沿って地球社会が実現するように/世界中が困らないように/足に骨折して/災難がおきても (3)苦しい時こそお祈りを カルマが解ける前に/いまはの際に/愛のみ教えによって
 2 祈りと行と (1)体験による自覚 「死んでも魂はありますか」/体験がないと迷う/体験と、それについての自覚との違い/霊的進化と霊的自覚/体験があれば迷わない/体験をもつためには  (2)心がひらけた証し  すべてのものは変っていく/力をあわせて/ただ祈る/神様のところへ/ただ坐る/自分も他人も/殻を破る/体を大切に/心が開けた証  (3)お祓いについて あらゆる存在の中にひそむ「悪の芽」/「悪の芽」を含む自分を捨てたら神様とつながる/東洋の「苦」と西洋の「悪」/西洋の「愛」と東洋の「慈悲」/人間は限りあるもの/浄められた魂を神に捧げる/「行」は自分を捨てるために行なう/神様は必ず力を下さる  (4)行中に皆をまとめるとは  神様の方に向いてさえいれば/行中に皆を「まとめる」とは
(5)神様にすべてをお任せするとは  ただ神様のことを思う/自我を捨てる/自己を否定する  (6)神様のことを思うとは  神様を信じること/イメージをとおして  (7)お祈りをする時間について 般若心経を唱える時間について/霊障のおきやすい人、おきやすい時間/祝詞を唱える時間について/身の程を知ること/自分を捨てきってしまえば/自己愛が無くなっていない人は/自己についての自覚を  (8)お行をする時間について 太陽エネルギーと人体の気エネルギーとの関係/夕方の「行」は霊的進化に応じて (9)人のためにお祈りするときには  神様にただお願いを/自分をなくしてお祈りを (10)祈りをした後、悪いことが起きることがあるのは(その2) 魔にまけないように/魔は感情に働きかける/魔が働きやすいとき/魔に負けないためには  (11)神様への感謝の心  本当に有難いなら/喫の意味/甘えすぎは自己保持

第五章 神様にお会いするには 
(1)どうしたら福の神に好かれるか ―節分祭の日に―  福というのは、皆を喜ばすこと/自分を忘れて皆のためにお祈りを (2)「教へにも、我なきわれにかへりなば」 「荷物」を捨てて/我なきわれ (3)とらわれない心  とらわれの心に気付く/くり返していくうちに/とらわれから離れたら/いつも努力を  (4)内なる神と外なる神  神様は自分の中にいらっしゃる/自分の中の神様に会うためには/宗教と戦争/低い段階で迷わないように  (5)神様にお会いするには  意気に燃えた若き日/心のかげりを宿す老いの日/信仰生活も日常の生活も、共に人間の生活/かげりの原因は/ありのままの姿で、神のみもとへ行けるように/ありのままの自分をみられる自由を/自分を不自由にするものは感情と想念
〔註〕

このページのTOPへ


本文より抜粋
第三章 世界平和の祈りとカルマの浄化
(7)カルマを超える手だて
 「カルマを超えられるか、カルマにおちてしまうかの決め手になるものは」との問いに対して
 神様に心を向ける
 一番肝心なことは、神様の方に心が向いているということですね。カルマの世界をつくって、それを支えながら、そのカルマの世界に住んでいる人たちを、カルマを超えた世界に引っぱり上げ、導いて下さるのは、それができるのは、神様しかないわけですから。だから、いつでも神様の方に向いているということが、やっぱり信仰を持っているということなのです。それがまあ、一番肝心だと思いますね。
 自分からはなれて、全体を成りたたせるように考える
 で、実際の日常の生活の上では何が肝心かというと、人間というのは、知らないうちに自分の中におちている場合が多い。ですから、これは正しいと自分で思うことも、実は自分だけの考え方で正しいと思っているにすぎなかったり、自分では純粋な心で理性的に行動していると考えている行為も、実は自分の感情がもとになっている場合も、ままあるわけです。
 ですから、ともかく自分が自分から自由になって、自分の自己愛に基づいた感情を基準にして、判断をしたり、行動したりしないで、皆が成り立つためにはどうしたらいいかということをいつも考えたらいいと思うのです。たとえば、自分が住んでいる家の中でなら、この全体を、うまく皆が成り立っていくのにはどうしたらいいか、家族一人ひとりの性格などを考えながら判断していく。父親の場合なら、息子なり娘なりがどういう性格で、どういう方向に動いているから、今こうしてあげたら本人に一番いいだろうというふうに、その相手の立場に立って考えてあげる,それが相手を成り立たせる智慧でもあるし、愛でもあると思います。
 十分に智慧を働かせ、一生懸命に行為をしながら、同時に超作をする
 で、そういう立場で一生懸命に努力して、その結果、息子や娘は父親にそむくこともあるかもしれないし、一生懸命に父親の忠告に従って努力するかもしれないけれど、その結果がどうであろうと、ともかく、自分がその息子のためにも娘のためにも、自分ができる限りのことをしてあげる。カルマの中におる人は、相手の立場になり切ることはむずかしくて、なかなかできないと思いますよね。だけども、やっぱり自分ができる限りの範囲内で、自分にとらわれないで相手の立場に立ったら、相手がほんとうは、この場合どういう気持ちで行為をしてるんだろうか。この場合はこの人には、自分がこういうふうに動いたほうがいいんだろうというふうに、自然にその智慧が出てくるように思うんですよ。
 また、今たとえば、どこかに勧めるなどの仕事をしているときには、十分に自分の智慧を働かせて、自分の働いている会社全体というのを考えながら、今、自分のするべき仕事はこうしたらいいんだ、という判断をする。その判断をするときに、自分なりの狭い判断ではだめだから、やっぱり上司の人とか周りの人とかと相談して、これでいいと決まったところでね、それを一生懸命にして、しかも、果を求めないで、超作をする。それができたら、そしてその根底にいつも神様の方を向いている気持ちがあったら、カルマは必ず解けていくと思います。
 カルマの世界にとらわれない
 それから、もう一つ心がけとして大事なことは、私たちはカルマの中で生きているんだけども、カルマの世界というのは、やはり消えていくものなのです。消えていくものなのだから、やっぱりそれにとらわれないということが大事なのです。そうすれば超作ができるのです。つまり、一生懸命に行為をしながら、そこからいつでも離れているということがね。
 カルマの世界というものはね、やはり神様が、人間を引き上げて下さるためにつくりだして下さった、一つの手段だと思うのですよ。そのカルマは、今度自分たちが生まれてきた原因であるし、だからまた、死ぬまでは続くのです。しかし、死ぬまで続くといっても、やはりそれは五十年ないしは百年の間のことなのです。
 だからカルマの中で、カルマによって生じたことを行ないながら、同時に神様の方へ向いて、<これは神様が、カルマを超えた世界へ引き上げて下さるための手段にすぎない。今起きているカルマは、死ぬまで続くとか、続かないとか、あるいは、きれいになったとか、きれいにならないとか言っても、結局はカルマの世界の、いつかは消えてしまうものにすぎないのだ、神様が下さった道具にすぎないのだ>と悟って、カルマの世界のことにいつまでもこだわらないことが大切なのです。それは、要するにカルマの世界を超えたところに、つまり、愛とか智慧に満ちた世界に行くための、単なる手段にすぎないのです。
 この世は、カルマを超えた世界へ到る道程
 しかし、ほんとうに引き上げていただく、つまり、カルマを超えた世界に上がっていけるのは、自分の力ではできないのですよ。それには、やはり神様の方へ向いて、信仰を持っておるということが大事ですね。神様の方を向いていないと、やはりカルマの世界は超えられないと思います。
 だから、この世の中は、神様が、カルマを超えた世界へ、智慧と愛に満ちた世界へ、引き上げて下さるためにつくって下さった世界なのです。そして、引き上げていただくためにはやはり、自分でできるかぎりの智慧と愛とを働かせて、自分のカルマを受け入れ、成就すること。そうしながらなおかつ、これはカルマを超えるための手段にすぎないんだということをよく知って、とらわれないで超作をすること、そして神様の方へ向いていること、つまり、しっかり信仰を持っていること。この三つができれば、必ずカルマを超えられると思います。

(1989/4/5)

このページのTOPへ

元に戻る



   宗教心理出版