宗教書
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愛と超作 神様の真似をして生きる 本山 博 著 |
| 四六判上製 247頁 定価2,550円 ISBN-87960-055-4-C0014 1996年11月 発行 |
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目次 1章 「超作」の意味 |
序文
現代は新しい世界秩序、経済観、政治観、人間観を模索して揺れ動いている時代である。
つい4〜5百年前に、ヨーロッパでの産業革命に基づいて、個人や会社がその仕事に応じて自己の資本を持ってもよろしいと
いう資本主義の考えが出来、同時に、個人の権利、義務、自由を説く個人主義が出来た。この技術革命と産業革命に基づいた
資本主義と個人主義は、今や全世界の人びとに浸透しつつある。
マルクスに由来した社会主義、共産主義の下では、人間はその個人の自由、権利を認められず、その圧制に耐えられず、ソ連
の共産主義は崩壊した。中国その他の共産国も、元来矛盾する資本主義、個人主義を取り入れるのに四苦八苦である。日本も、
自由主義政党と社会主義政党が連立して政治を担当している。
これらの政治の流れを見ていると、現代は、人間のもつ個人性と社会性とを両立調和させるために苦闘している時代と言える。
というのは、資本主義、個人主義の体制の下で、物の豊かな生活を享受しているアメリカ、日本を見ていると、人々は物の豊
かさと個人の権利を求め、主張し、人間は心や魂をもち、人々との共存においてのみ生きてゆけることを忘れかけている。自
分だけがよければいいという考えは社会に犯罪を増やし、アメリカでも日本でも社会の存在性が希薄となりつつある。
今、世界中で大きな戦争はなく、人類の歴史上、最も安定した豊かな生活を後進国の人々は享受している。しかし毎年、アフ
リカ、南アメリカ、中国、インドなどでは、全体で2千万人ほどの人々が餓死している。世界の食糧生産は、農業技術の進歩
にもかかわらず、頭打ちである。水産資源は減少しつつある。人口は、全人類では毎年数千万人増えている。その上に、工業
化、エネルギー消費の増大につれて、空気、水、土が次第に染されている。地球の物理化学的環境は、人間が住めない方向に
進行している。
どうしたら、やがて訪れるであろう危機を乗り越えられるであろうか。
それには、人間のもつ個人性と社会性を両立させること、又、人間は身体・心・魂より成る一全体であることを自覚できるよ
うに、一人一人の人間が精神、魂の次元で成長することが急務である。その精神的成長をもたらすものは、日常生活で、愛と智慧に支えられた超作を行なう ことである。
超作とは、人や自然が成り立つように、愛と智慧をもって、対象である人や自然になりきって働くことである。すると、人も
自然も自分をも包摂する大きな存在に成長する。そこでは人をも自然をも助け成り立たせることができる。全ての人が共存で
きる社会を成り立たすことができる。このような人間は、人に頼らず自ら生き、その広い大きな個人性を保ちつつ他の人を助
け成り立たせ、且つ、共存できる社会性を成就できる。政治家も経済人も文化人も宗教家も、超作 によって精神的成長を遂げねばならない時代が到来しつつあるように思われる 。
本文より抜粋
1章「超作」の意味
3 私の言う「超作」
私が今まで実際に行をしてそして皆さんに説いてきた超作というのは、或る行為をする場合、結果を求めない行為というのは勿論無い。だから結果を求めて行為をするけれども、行為をする時に、その結果がどうであるかということを忘れてしまう程に行為そのものになりきるということです。いつも何かを気にしながら行為をするのでなくて、行為そのものになりきると、その時には自然に、行為の結果を求めて行為している自分というのは消えてなくなる。これが一つ。
もう一つは行為をする前に、自分がこの行為をすることによって少しでも他の人が助かるように、あるいは他の人に役に立つようにと念じるということなのです。
4「超作」の基になるもの −愛と智恵と社会性―
くり返すと、超作とは、まず、行為をする時に、結果だけが基準になって行為をするのではなくて、行為をする時には、もう夢中になって行為をする。結果を求めている自分を忘れてしまう程に夢中になる。するとその夢中になった時に自己否定が起きる。そして、より高い状態、より高い次元に進んで行ける準備ができるということです。
それともう一つは、行為の動機が、その行為の結果生じたものが人の役に立つようにということ、それを念じるということです。
こういう超作においては、人の役に立つようなものを作る、あるいは行為をするということ、つまり「愛」が一つの基盤になっている。
それから、目指しているものが完全にできるようにするには智恵が要る。愛とか智恵というものが超作の根底にあるのです。
そして人を助ける、人の役に立つということが一つの目標になって行為をする時には、そこに自ずから社会性というのができてくると思うのです。
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